日本法令翻訳システムの構想

外山 勝彦, 小川 泰弘, 松浦 好治: 日本法令翻訳システムの構想. ジュリスト 2004.12.15号(No.1281), 有斐閣, 2004.

1.はじめに

日本法令を外国語に翻訳する社会的必要性がますます強調されている。そこで本稿では、法令翻訳の満たすべき条件を掲げ、これを満たすような法令翻 訳システムの構想を提案する。この法令翻訳システムは、最近の情報技術に基づくコンピュータシステムと、翻訳に関わるすべての作業を一貫して扱う社会 的システムを構築し、一つに統合した環境として提供するところに特徴をもっている。

2.日本法令翻訳の必要性

日本法令を外国語に翻訳することの重要性は、かねてより認識されていた。実際、法令を体系的に英訳する努力は、ルーズリーフ形式で続けられてきた [1]。近年さまざまな事情が加わって、高品質で、体系的、継続的な法令翻訳の社会的必要性がますます強調されている。

事情の第一は、経済活動のグローバリゼーションである。国際競争の中で、日本に対する外国からの投資意欲を一層高めるためには、ビジネスの基礎となる法についての情報を幅広く提供することが必要だという認識は、経済界や官庁に幅広く見られる。法令情報を外国語で提供することは、日本社会の透明性が低いという外国からの厳しい批判に答えるという意味合いもある。さらに、日本に労働目的その他で長期滞在する多数の外国人に対して、権利義務に関する基本情報を提供すべきだという社会的要請も生じている。

事情の第二は、国策としての法整備支援活動である。発展途上国や旧社会主義諸国は、経済発展の基礎となる市場経済体制の確立に努力しており、法整備はそのための不可欠な作業であると言われている [2]。日本政府は、1990年代以降アジアを中心に対外援助の一環として法整備支援を行っている。「日本に学びたい」という援助対象国からの要請に応えるためには、まず日本法令の外国語訳を通して日本の法制度に関する情報を提供し、諸外国の法制度との比較検討を可能にした上で、対象国との事業を進める必要がある。

日本のいくつかの大学は、法整備支援の一環として留学生を受け入れて、英語による教育機会を提供している [3]。留学生は、日本の社会と法について強い関心を持っているが、難解な法令情報を日本語で学習できるだけの語学能力を備えている者は、ほんの一部である。ところが、日本の法制度に関する最新の情報は日本語の資料でしか入手できないのが現状である。法令だけでなく、日本法に関する最新の法情報(判例、学問的議論、政府文書など)に対する需 要は非常に大きいのである。

法情報の国際的共有に関する日本の情報戦略の確立が求められているというのが、事情の第三である。世界各国のデジタル化された法令情報が翻訳を通じて幅広く利用可能になれば、その国際的意義は大きい。さらに一歩を進めて、入手した外国の法令情報を効率的に比較検討し、利用できるようにするには、前もって翻訳のベースとなる各国の法令情報自体をどのように記述するかを国際的に取り決めておく必要がある。現在、法令情報の管理に関する国際ルールは存在していないので、汎用性を持った法令情報管理の国際ルール案を日本が提示することは、大きな意義がある。

3.法令翻訳が満たすべき条件

従来の法令翻訳は、基本的には人海戦術によって個別的、断片的に行われてきており、そのため、さまざまな問題を伴っていた。それらの問題は、法令翻訳にあたって克服すべき課題として、以下のように整理することができる。

  1. 高品質性
  2. 同一の法律分野における同一の語や表現に対して、常に首尾一貫した訳語が選択されているとともに、それを用いる者にとって翻訳が自然な文になっていること。

  3. 大量性・体系性
  4. 必要な法律の翻訳が網羅されているのみならず、その下位規定を含む関連法令や、可能ならば法令に関連する情報まで、一括して翻訳されていること。

  5. 継続性・最新性
  6. 単発的に翻訳を行うだけでなく、法令改正に対応して翻訳も変更され、最新の法令内容を常に反映させること、または、翻訳がどの時点での法令に対応しているかを明示すること。また、翻訳品質の向上のために、翻訳を適宜見直すこと。

  7. アクセス性
  8. 翻訳の有無を誰でも容易に確認できること。また、翻訳を印刷物、電子テキストなどさまざまな形で誰でも容易に入手できること。

  9. 社会的信頼性
  10. 翻訳が信頼できる内容であることを具体的に提示すること。

  11. 形式性
  12. 翻訳が法制執務で用いられるような一定の書式で提供されること。

  13. コスト管理性
  14. 翻訳作業の各部に関わるさまざまなコストを管理し、軽減すること。

ところで、コンピュータによる機械翻訳技術の開発は進展しているが、その翻訳品質は必ずしも満足できるものではなく、翻訳文作成における最終段階で、翻訳者による手作業がどうしても残る。さらに、わが国では、多人数の専門的な翻訳者による人海戦術によって翻訳を行うことは容易でないという事情がある。そこで、上記の条件を満たすような法令翻訳システムを構想する場合、人手による翻訳作業が残ることと翻訳者の不足を念頭においておかなければならない。

4.法令翻訳システムの概要

次に、われわれが構想している法令翻訳システムの概要を説明することにしたい。このシステムは、2つのシテムを統合するところに特徴をもっている。第一のシステムは、自然言語処理、データ処理、知識処理、コンピュータネットワークなど、最近の情報技術に基づくコンピュータシステムである。第二のシステムは、翻訳すべき法令の選定から、翻訳の依頼、翻訳作業の管理、翻訳のための共有基盤資源の管理、翻訳の採択・公開まで翻訳に関わるすべての作業を一貫して扱う社会 的システムである。2つのシステムは、最終的に、一つの環境に統合される(その全体を図1に示した)。

図1 : 日本法令翻訳システムの概要
(画像クリックで拡大)

そのうちコンピュータシステムは、翻訳支援システム、翻訳品質検査システム、法令データ管理システム、翻訳評価システムの4つを主要なモジュールとし、それらに共通の基盤資源として、標準対訳辞書および翻訳メモリと、法令データベースがある。

ある法令の翻訳から公開までという流れに沿って、各モジュールの機能を簡単に説明してみたい。この中でとりわけ重要なのは、後述する標準対訳辞書である。なぜならば、この辞書が適切な訳語、表現の統一などについて基本的な情報を提供するからである。

(1)翻訳者による翻訳とその支援

翻訳することが決定した法令は、専門の翻訳者(複数の場合もある)に作業が依頼される。作業依頼は、ネット上での公募を含めた多様な方法が考えられる。翻訳者は、標準対訳辞書や翻訳メモリなどの共有基盤資源との間の仲介などを行う翻訳支援システムを利用して翻訳案を作成し、採択・管理委員会に提出する。翻訳者への依頼、翻訳作業の支援、翻訳案の提出などのやり取りは、基本的にインターネット上のウェブを利用して行う。

翻訳者が翻訳を作成するとき、インタフェースとして法令の書式に即した作業用のテンプレートを利用する。なぜならば、翻訳作業をテンプレートの穴埋め形式にすることにより、翻訳の書式を統一できるだけでなく、翻訳者は書式を意識することなく、翻訳作業に専念することができるからである。

(2)翻訳案の品質検査

提出された翻訳案は、翻訳品質検査システムによって自動的に検査し、最低限の要件を満たさない翻訳案を取り除く。検査のポイントになるのは、訳語一貫性、標準対訳辞書の使用状況、文法検査など、翻訳における語彙や構文の適切さなどである。すでに述べた標準対訳辞書は、この検査でも必要となる。

(3)翻訳案の評価・採択

品質検査を受けた翻訳案に対して、法律専門家からなる採択・管理委員会が専門的あるいは主観的な観点から、さらに検討を加え、翻訳を最終的に選定・採択する。採択された翻訳は、委員会が法令データベースに登録する。

翻訳の選定・採択の際、多数の予備評価者からなる支援組織を構築し、委員会はその予備評価結果に従って採択の可否を決定する方式が望ましい。予備評価は、コンピュータネットワーク上の電子投票に基づく翻訳評価システムを用いることにより行う。この予備評価の結果は、翻訳者の格付に応用することができ、以後の翻訳者への作業依頼の際に利用することができる。

なお、委員会は翻訳すべき法令の選定も行う。

(4)翻訳の公開・管理

法令データ管理システムは、未翻訳、翻訳案作成中、翻訳評価中、翻訳公開済みなど、法令の現在の状態を把握し、作業工程やデータ流通を管理する。この情報を一般公開することは有益であるかもしれない。

翻訳は、元の日本法令とともにウェブ上で公開するが、その際に必要な制限を加えることができる。たとえば、公開先を当初は限定し、一定期間経過後に一般公開する方法が考えられる。これは、企業などから翻訳依頼を受ける場合を想定したもので、企業はこのシステムを利用することにより、必要な翻訳を容易に得ることができる。同時に、外部の翻訳依頼主に対する課金制度を構築する可能性も考えられる。このモジュールはそれらも管理する。

法令データベースに登録された翻訳は、元の日本法令が改正された場合、再翻訳が必要になる。その際、最初から全部を再翻訳するのではなく、必要箇所だけを抽出することにより、翻訳コストを下げることができる。法令データ管理システムは、再翻訳の必要な箇所の表示その他を行うとともに、翻訳のバージョン管理も行う。また、翻訳は、元の法令と対応づけておく必要があるので、日本法令のバージョン管理も必要である。法令データ管理システムは、日本法令とその翻訳のバージョン管理を並行して行うのが理想である。

さらに、従来は、いったん行われた翻訳は、法令改正が行われない限りそのままであったが、翻訳品質の向上のために、法令改正がなくても再翻訳を行うことも考えるべきである。たとえば、公開された翻訳を見た翻訳者が、「より良い」翻訳案を提出することも考えられる。その場合、採択・管理委員会が認めれば、それを採択し、翻訳を更新する。再翻訳は、他の法令を翻訳した結果に基づいて訳語変更が発生した場合などでも行うことになろう。

(5)標準対訳辞書・翻訳メモリ

標準対訳辞書は、専門用語とその対訳を収録した電子化辞書であり、翻訳作業に関わる者や各モジュールが共通に使用する。対訳辞書の構築にあたっては、既にある大量の翻訳事例を用いて収録候補を自動生成し、その中から法律専門家が適当と判断したものを最終的に収録する。対訳は、単語単位だけでなく、句・節などの単位でも収録し、法令文固有の言い回しに対する翻訳を翻訳者などに提示する。この辞書には、訳し分けや言語の違いによる概念の微妙な違いなど、法律学的な情報も付加し、翻訳者が利用できるようにしておく。また、翻訳する箇所の前後にある文脈も翻訳者が参考にできるような支援ツールも有用であり、われわれは、そのプロトタイプの開発をすでに完了している [4]

一方、過去の翻訳事例から類似したものを探し、そのまま活用することも有用である。翻訳メモリは、元の文とその翻訳文の組を大量に収集して構築したものであり、翻訳しようとしている文の中で翻訳事例と相違する箇所を、対訳辞書を用いて置換すれば、文全体翻訳を容易に得ることができる。

対訳辞書や翻訳メモリは、大量の翻訳事例から構築する。これらを用いて作成した翻訳も新たな事例として加えて更新することにより、対訳辞書や翻訳メモリはスパイラルに進化し、翻訳の品質向上に貢献することができる。

(6)法令データベース

法令データベースは、元の法令とその翻訳を蓄積したものである。その際、(1)で述べた翻訳用テンプレートの実現や、(4)で述べた翻訳箇所の抽出、あるいは、翻訳箇所に関連する条文の提示など、法令情報を高度に利用するためには、法令を単に文書単位で蓄積するのではなく、条・項など法令の内部構造の単位で管理することも必要になると考えられる。そのために、XML(eXtensible Markup Language)などの構造記述言語を用いて、法令の構造や属性などの情報を記述しておく必要がある。このことは、法制執務支援システムを用いた電子化法制執務(e-legislation)の実現につながるとともに、法令情報の共有にも貢献する。われわれは、日本法令の構造記述を行う文書型定義(DTD、Document Type Definition)の検討を行っている。

5.おわりに

本稿では、日本法令の高品質で継続的な外国語への翻訳を実現するためのシステムについて、その概略を述べた。このシステムは、われわれの研究グループ(筆者3名のほか、名古屋大学大学院法学研究科F・ベネット助教授、同角田篤泰助教授、大阪大学大学院法学研究科養老真一助教授ら)により、現在開発中である。

なお、本稿の内容は、司法制度改革推進本部・国際化検討会・法令外国語訳に関するワーキンググループ第1回会合に提出した資料 [5]を元にしたものである。

[1] たとえば、Doing business in Japan (Z. Kitagawa ed., Matthew Bender, 1980)やLaw Bulletin Series (Eibun-Horei Sha)がある。

[2] たとえば、世界銀行の次のページを参照。http://www4.worldbank.org/legal/leglr/

[3] たとえば、名古屋大学大学院法学研究科については、http://cale.nomolog.nagoya-u.ac.jp/ja/about/ を参照。

[4] 小川泰弘、西森寛敏、外山勝彦:Bilingual KWIC − GUIによる対訳表現選択支援、平成16年度電気関係学会東海支部連合大会講演論文集、p.111 (2004)

[5] 松浦好治:法令データ情報の管理に基づく法令翻訳プロジェクト、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/kokusaika/hourei1/hourei1siryou5.pdf (2004)